とっぷぺーじ  

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このブログはスイシン宮とも名乗る、ぽっぷが鉄道以外のゲームをはじめとする趣味について書きつくブログです。


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当ブログでは廃道・廃隧道を中心とした、道路のレポートを書き綴っております。

道路の散策につきましては、交通ルールを守り、事故のないよう安全に散策していただきますようお願いいたします。

また、一部安易に真似をされますと命に危険が及ぶ可能性のある内容を含んでおります。

当ブログを参考にしていただけることは光栄なことではありますが、現地で事故・事件等に遭遇した場合、管理人は一切の責任を負いません。

また、立入を禁止している箇所もございます。散策は事前に情報を確認した上で、自己責任で行っていただきますようお願いいたします。



2010年07月01日:秘密裏更新スタート
2012年07月18日:再始動

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移転しましたw  

轍亡き路へ(2代目)

少し使い勝手が悪くなってしまいましたので移転しました。

引き続きよろしくお願いします。
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福井県道3号 一光隧道  

一光坂(いかりざか)

福井県福井市の主要地方道県道3号線上に跨る標高482mの峠である。


今回、偶然この道を通ってしまった

受験が近く、ただでさえ遊んでいられない身分ではあるがどうしても越前海岸の廃隧道を見たくて仕方なかった。
そのため日曜日、プレテストを受けたあと、越前海岸に行こうと模索していたのである。


今回この道を通るつもりは正直なかった。

なぜ通ったのか、言うまでもない。そこに標識があったからだ。


直進の地名はわからなかった。だがまっすぐ行けば海に出れると思っていたからだ。

右折路、県道3号の文字がある。行き先は一光。地名はわからないが、R305のマークがあったのが右折するきっかけとなったのだ。

国道305号は越前海岸沿いを通る道。この日の目的はこの旧道のはずだった。





地図を見ていただきましょう。

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赤が今回通った県道3号線です。
だれもがこの地図、線形を見ただけで「ヤバい道」だということがわかります。

ここを走りました。

んで、青色の部分。隧道です。名前は「一光隧道」。
実はこの隧道を知っていました。偶然迷い込んでしまい、普通なら引き返すところを「この隧道があるから」という理由で前進しました。
結果、廃隧道群のほうは日没による時間切れで数箇所しかいけませんでしたが、それは後日レポします。

ちなみに、周辺地図はこちらになります。
詳細地図は電子国土ポータル様を使用していますが、周辺地図はMapion様をお借りしています。


この県道3号、実は入った当初カメラを出していなかったがためにほとんど写真を撮っていません。

ですが、行っておきましょう。


険しいです


雨の日に通る道ではないですね。ですがこの上に一光集落がある以上、この道を通勤で使っている方がいるのも間違いないです。

ちなみに1枚だけ、これは凄いと思って写真を撮影してあります。
それがこちら。


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左:崖  右:崖


ガードレールもあり舗装も綺麗なので恐怖は感じませんが、これは凄いです。

ちなみに起点から一光隧道までは標高差は300mです。ぐんぐん登ります。




そして一光隧道。
入り口は直角で入るのですが、直進に道がありました。一応地図に書いてあるのですが、拡大すると部分的に消えます。・・・つまり死んだ道・・・廃道なんでしょうね。春に再調査したいと思います。

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これが福井市側の坑門です。
一見して、普通の狭い隧道なのですが、このトンネルはちょっと面白いところがあります。


左側の看板なんて書いてあるかわかるでしょうか?


「100m先待避所あり」


この隧道、全長300mもない短い隧道で待避所の必要があるのかどうかは謎ですがとりあえず通ることにしましょう。

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こちらが待避所。待避所以外での離合は出来ません。


そして、一番のゲテモノ装備はこちら。

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一見普通の出口です。これが海側の坑門だとお思いでしょう。




フレームアウトギリギリで写っている外側の大きい円が坑門です。

坑門を通った10mほど先で何と幅員減少されているのです

しかもそのサイズの違いは一目瞭然。そのまま小さくした感じです。

何故このようになったのでしょうか。原因は海側出口の道の線形でわかります。

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海側出口はスノーシェルターによって覆われています。
奥を見ると、坑門が見えないどころか、曲がっていますよね。

これが原因です。

こちら側も、ほぼ直角に近い角度で隧道に入るのです。

直角で入れるため、一度隧道の手前で見なければ対向車の存在はわかりません。
バックで直角カーブを戻るのも大変でしょう。

そのため、このような洞内幅員減少というゲテモノ装備が加わったのでしょう。



スノーシェルターの手前にはヘキサも立てられています。



ちなみにここから一光集落へは走りやすい道が続きます。
ヘアピンカーブが連続するのは一光隧道を挟んで福井側だけなのです。


県道3号は一光集落へ出てからさらに福井方面へ向かうためもう一つ峠を超えます。
こちらは冬季閉鎖になりますが、隧道はありません。
ただ、やはりこちらも相当細い道のようで、地図を見ていただければわかると思います・・・。


海へ出るには一光集落から福井県道183号を通ることになります。
ワイディングもあり、途中谷底を通るためなかなか凄い場所を通るなと実感させられます。
ただ全体的に2車線が多いので走りやすい道です。

途中に日本の滝100選にある、五太子の滝があったりしますが、それよりも
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すごく分かりやすい場所のコンクリ法面にでっかいスズメバチの巣があったりして本当にビビります。


付近に民家がないから、駆除しなくてもいいんだろうか・・・とりあえず普通にハチ居ます。

あれをエアガンで打ち抜きたい衝動に駆られますが、危険なのでやめておきましょう。



以上、県道3号一光隧道レポでした。

次回更新は国道305号廃隧道群のレポになります。
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旧国道8号線 阿曽隧道レポ  


時系列順には、昨日更新した金ヶ崎隧道の後にチャレンジしています。


さて、今回は阿曽隧道が舞台になります。

まずは、阿曽隧道のある場所を遠景で見ていただきましょう。

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右のガードレールは現在の国道8号線です。

その奥の半島のような部分、地図には黒崎と表記されていますが、現在の国道8号線は黒崎の付け根の部分をトンネルで貫通しています。
ですが、今回の阿曽隧道はもっと外側を走っていました。

今回はそちらに行ってみました。


但し、俺が考えている以上にそれは過酷で、一度命の危険を感じる場所だったのです。




まずは現場の地図です。
阿曽(あぞ)という地名は現在の国道8号線を走ったことのある方なら見たことがあるかなと思います。



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今回は3色で色分けしました。

赤は旧道、青がトンネルですが、

緑の区間は今もなお、地図に道が書かれている区間です。


それを踏まえたうえで、これをごらんいただきたい。

現国道8号線から、緑のラインへ入ったすぐの部分である。



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これ、地図に書かれている道です。



このまま直進するのが地図に書かれている道です。阿曽隧道へも、ここを通らなければいけません。


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道は黒崎の断崖絶壁に築かれています。右は切り立った岩山、左は海までまっ逆さまです。

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車道時代の遺構がありました。ブロック式の転落防止柵です。


今回の目的は、捨てられた隧道を車輌で走破すること。
なのでこの場所をどうしても自転車を持って進まなければなりませんでした。

こちらは敦賀側なのですが、福井側はロックシェードの隙間から抜けなければいけないので、自転車持込じゃ確実に無理です。

なのでどうしても自転車を押していく必要があるのですが、この先は藪が深くなっていって、どうしても進む道がここしかなかったのです。それが下。
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赤が遺構で、黄色が俺の進む道です。

崖っぷちを自転車を押して進みます。


結構余裕あると思われますが、案外これが難しい。

しかも俺の自転車は普通のサイクリングで使われるような自転車や、ましてやオブロード用ではありません。

通学用の重量級チャリです。

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というわけで、一番の難所クリアです。
歩いていくだけなら危険は少ないですが、通学用チャリという重い荷物を持ちながらの歩行は大変危険です。


今までこの道を、通学用チャリが走ったことがあったのでしょうか。
調べれば数々のレポを見ることはあるが、どれも徒歩で、とかマウンテンバイクで、というものが多いです。バイクで行った、という方もいらっしゃったようですが、もしかしたら自分が通学用チャリ初めてなんじゃないか?なんてバカなことも考えながらとにかく前に進みます。

写真後ろにロックシェードが見えますが、これは現国道8号線。
この場所まで50メートルほどしかありませんが、自転車を押して安全な場所を考えながら進むだけで8分ほどの時間を要しています。

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この場所は地図で言えば方向が90度変わる部分になります。

ちょうど正面の小屋が曲がり角ですね。
このあたりはまだ藪が大人しいのですんなり進むことが出来ます。
その分、血に飢えた蚊に大挙して襲われることになりますが・・・。


この角を曲がれば隧道の敦賀側坑門が見えるとのことでしたが、
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おいちょっと待てよ・・・岩肌に隠れて見えないならまだしも、藪で見えないってどうなんだよ・・・。
しかもさっきのほうがまだ可愛い藪だぞ!こんな藪通り抜けられるかよ!

とかいいつつ、自転車で通るという目標を達成するには突っ切らないといけないわけで。

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相手が俺で残念だったな!俺はしぶといぞ!

自転車とほぼ同じ丈の藪を押しながら進みます。
あと少し高かったら諦めていましたよ。

というか・・・坑門見えてるし・・・。

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バカ正直にまっすぐ突っ切ることはせず、なるべく楽な道を、そして蜘蛛の巣がない場所を選んでグネグネ蛇行しながら、5分かけてこの藪を突破。

現道からはなかなか見ることが出来ない部分で勝利の余韻に浸ります。
そして・・・その背後。


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Oh...


皆さん。どうでしょうか。

これが阿曽隧道の姿です。

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敦賀側坑門は明らかに崩壊が進んでいます。
2007年に入洞したという方のレポではここまで崩壊していませんでした。
なので訪れてびっくりさせられました。

しかも小石だけかと思えば、藪の中には鞄レベルのサイズの落石まで。
自転車を持ち上げているときにそれに躓き転倒、自転車のチェーンカバーがへこんでしまいました。

入り口部分はとても綺麗な石組み。
現代じゃとても真似できないですよね。

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自転車を引き連れて入洞。

既に1.5メートルは土砂で埋まっていますが、入り口だけ。
洞内は比較的綺麗に保たれています。

この整った石組みはとても綺麗です。

ですが、これだけで終わるような阿曽隧道ではありません。
振り向くと、こんなんです。


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素掘りだよ!ねぇ素掘りだよ!

自転車に乗って走行するという目的を忘れ、ただ綺麗に掘られた素掘りトンネルを美術館を鑑賞するかのように眺めながら福井側へ向かいます。
長さは50メートル近く。決して短くも長くもないトンネルです。

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福井側坑門も、ほぼ敦賀側と同じく綺麗な石組みによって作られていました。
敦賀側と違うのは、すぐ横が崖で海ということ。

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ここから先、福井側はさらに深い藪になっています。
そしてロックシェードがあるため、隧道へは敦賀側からしか基本行くことは出来ません。




さて、こんな険しい場所に作られた阿曽隧道。
見るからに只者じゃない雰囲気をかもし出しています。

この隧道、福井県に現存している隧道の中で、最古参の隧道なのです。

この隧道が作られた当初は、敦賀街道としてではなく「東浦道」と呼ばれる、敦賀と北陸を結ぶ重要路の一部として作られていました。
現在の国道8号線の前世と言っても過言ではありませんでした。

この阿曽隧道はその一通過点として、明治9年に作られました。何と徳川政権の崩壊から10年で作られてしまったのです。
しかし完成当初は人がやっと通れる程度のそれは小さな穴であったそうです。

これから拡張し馬車が通れるようにする、というところで。

何と「東浦道計画」が停止されてしまいました。


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何故「東浦道計画」が停止されなければならなかったのか。

「東浦道計画」は現在の福井県の前世である、敦賀県によって計画されていました。
その「敦賀県」自体が消滅してしまったのです

維新政府によって、現在の嶺南地方は滋賀県に、嶺北地方は石川県に組み込まれました。福井県は一度分割されたのです。


唯一残された阿曽隧道は市民の生活の道として使われ続けられましたが、明治16年7月8日。阿曽隧道を悲劇が襲いました。
敦賀一帯を襲った豪雨により、阿曽隧道は中程から崩落。放置されることになってしまいました。





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しかし阿曽隧道は再び復活することになりました。



明治14年、分割は県民の反発を買い、再び「福井県」が設置され、県庁も福井に置かれました。これが現在の福井県です。


それの一大事業として抜擢されたのが一度停止された「東浦道計画」の開通でした。

それまでは今庄を通り木ノ芽峠を通る北陸道が主流でしたが、武生から海沿いを通り敦賀へ通る「春日野道」として「東浦道」は復活することとなりました。
敦賀・金ヶ崎まで鉄道が開通され、馬車や荷車が普及し始めていたことも要因の1つです。


そこで通過点にある阿曽隧道を再整備して馬車が通れるよう拡張しようと復活することになったのです。

恐らくそのときに出入り口部分の石組みが作られたのでしょう。素掘り部分も含めて、明治9年に完成したものは現存していないのでしょう。

そして明治18年8月28日にようやく春日野道は着工されました。

崩落こそしていたものの、拡張整備で復活した阿曽隧道をはじめ、昨日のレポで紹介した「金ヶ崎隧道」、武生の山中に今も眠る春日野道の最難所「春日野隧道」とあわせ3つの隧道が明治19年末に完成しました。


これこそ、昭和38年まで使われることとなった現国道8号線の元となった道なのです。

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阿曽隧道では拡張整備の最中、明治19年6月25日18時30分ごろ、岩石の崩落事故が発生。4人もの尊い命が失われました。
このトンネルを去るときに合掌し、戻り際に乗車し走行という目的を果たしつつそっと自転車を隧道から外へ出しました。


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明治維新による政治の混乱により、一度は歴史の舞台から抹殺される可能性が浮き上がった阿曽隧道。
崖っぷちの危険な場所に築かれた隧道は隣に黒崎隧道が作られるまで活躍、現在もなおその危険な場所に佇んでいます。








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しんみりした感じで隧道を出ても、相棒とともに来た道を戻らなければなりません。
翌日から俺と学校へ行かなければ行けない使命を背負っている俺の相棒は、

俺以上に輝いていました。

思えば、廃線跡の築堤や砂利道を走ったことはしばしばありましたが、本格的な藪の中を走るのはこれが初めて。
初走行にもかかわらず、体に受けた傷はチェーンカバーがへこむというだけで済んだのはよかったのでしょうか。

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藪の中を走りながらも、時々こんな崖っぷちを走る羽目になる俺の相棒。
今日からお前をディスカバリー号と名づけるよ・・・。

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こうして俺とディスカバリーは現道へと生還しました。

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ちなみにアプローチ道は現道からはこのような場所を入っていくことになります。
右のトンネルが阿曽隧道の置き換えとして作られた黒崎隧道。
その手前のロックシェードの切れ目から入ってく感じです。

もちろんのことですが、車を止める場所は付近にはありませんのでご注意ください。



以上、阿曽隧道探索記でした。

お次は今週末、行こうと計画してます。。。
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旧国道8号線 金ヶ崎隧道レポ  


最初に少しだけ、書かせていただく。

新しい趣味に目覚めました。

何でこんな、そして何でこんなときに?とは思うかと思いますけど、正直楽しいですw

何かというと、「廃道・廃隧道」。
既に使われなくなった隧道を探し、そこへ続く廃道を走る。
それが嫌に楽しいのです。


mixiでお世話になっている方々は日記でレポを公開しているのでお分かりでしょうが、酷道(国道なのに酷い道)や険道(県道なのにかなり険しい道)なども走っています。

何度かレポを上げてきましたが、本当の意味で、廃道や廃隧道を21日に初訪問、そして初チャレンジ。
そのため、これ以降のレポはこちらで書かせてもらいます。




えー、というわけでですね。

最初のレポは10月21日に訪問した国道8号線旧道のレポからです。




まず国道8号線。もちろんご存知かと思います。
新潟県新潟市から京都府京都市まで、588キロの長い国道です。

今回の国道8号線旧道区間の調査対象は越前市妙法寺〜敦賀市金ヶ崎へ至る道、つまり「敦賀街道」と呼ばれた道のことです。


大体は現在の国道8号線と同じルートを通っていたと言えます。

ですが、一部区間でかけ替えられた場所があります。

今回から、このかけ替え区間も含め、敦賀街道を自転車でひた走ろうという企画です。
もちろん、死んだ廃隧道もすべて自転車で走破し、再び生き返らせようというものです。




そのうちの一つが今回のレポで書く、金ヶ崎隧道付近


まずは現場の地図を見ていただきましょう。

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地図にも書かれている通り、下部中央から右上部へ向かうように引かれているオレンジ色の道路が現在の国道8号線非バイパス区間です。
「敦賀街道」、「金ヶ崎トンネル」の表記もあります。


ここにも“旧道”が存在していました。
それが、赤色と青色で書き加えた部分。
いずれも現存していますが、右上の点線部分は 現存していません 。

理由は後ほど書くとして、写真を載せていきましょう。


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まずは赤色部分の一番下部の場所から。

ほんの4年前まではこの先の線路に列車が走っていました。
ご存知の通り、敦賀港線です。
踏切もあったのですが、現在は撤去されています。

この道が旧8号線でした。
実はこの道が国道8号線であったのはたったの4年間。
昭和27年に国道8号線になりましたが、昭和31年に現在の非バイパスにある金ヶ崎トンネルが開通したため、この隧道は封鎖されました。


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アプローチ道は現在通行止めになっています。

今回は自転車なので横の隙間から入らせていただきます。


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道は上り坂。少しきついです。

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ゆっくり進むと、次第に路面から草が生え始めます。
そして横の看板見てください。

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落石あり  立入禁止

落石注意じゃなくて落石ありですよ。
どれだけこの先に進めたくないのやら・・・。

少し進むとこんなものが。

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   ∩___∩
   | ノ      ヽ
  /  ●   ● | クマ──!!
  |    ( _●_)  ミ
 彡、   |∪|  、`\
/ __  ヽノ /´>  )
(___)   / (_/
 |       /
 |  /\ \
 | /    )  )
 ∪    (  \
       \_)


どう考えたって熊捕獲用のアレですよ。ご丁寧にご飯(ドングリ?)が巻き散らかしてありますよ・・・。

そしてそこから道の先を見れば・・・

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あっ!

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あった・・・。




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これこそ、旧金ヶ崎隧道です。

この金ヶ崎隧道は敦賀街道の武生付近の部分、春日野街道と繋げることになったため作られた隧道です。
明治19年に立てられた、とても貴重な隧道なんです。

調べてみると、この隧道の扁額には吉祥洞という文字が書かれていますが、これを書いたのは明治の大人物「山縣有朋」だそうです。
・・・自分は世界史専攻なので・・・。


ちなみに逆側、福井側の扁額はかの有名な福井藩藩主「松平春嶽」です。

敦賀側は撮影しましたが、福井側は残念ながら草に隠れて見ることも難しかったです。

今回の目的は、車輌による廃隧道の走破ですので、乗ってきた自転車を何とかフェンスを乗り越え隧道内へと入ります。

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隧道内は比較的保存状態はよかったです。
煉瓦が美しいですね。

長さは290メートル、現在の金ヶ崎トンネルとほぼ隣り合うように通じています。

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というわけで走破しました。

長さは200メートル以上あるので中間部分は明かりがなければ真っ暗で何も見えません。

かつ、中間部分にはぼろぼろに朽ちた軽自動車の廃車体が置いてあって雰囲気が凄いです。
恐らく崩壊か何かに巻き込まれて捨てられたのでしょう。

路面はすべて土です。車輌は自転車以外乗り入れることは無理でしょうが、起伏があって少し走りづらいです。
また、福井側から敦賀側にかけて下りになっているので、帰りはスピードに気をつけてください。

あまり路面に目立った崩壊とかはありませんので、小石などに気をつければ車輌に乗ったままでも走行できます(実際乗って走行しました)。


さて、写真を見て分かるとは思いますが、この外側・・・。


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完全廃道でございます。

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この先にはセメント工場があります。

セメント工場を建設する際に土地を削り取られ、それに旧道は巻き込まれた形で途切れています。
トンネル内写真に写っているパイプライン、このセメント工場へ通じています。


詰まるところ、この金ヶ崎隧道の福井側坑門はセメント工場の敷地内ってことです。
建物ははるか崖下とはいえ、長居は禁物。さっさとトンネルを戻ることにします。

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金ヶ崎隧道。2012年現在もなお、通行は可能です。


そして、これが人生初の廃道・廃隧道探検となりました。


軽く次回予告をしましょう。

帰りにもう1箇所、隧道をめぐっていますが、そちら、アプローチ道で既に


命の危険を感じています。

次回、お楽しみに。
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