旧国道8号線 阿曽隧道レポ  


時系列順には、昨日更新した金ヶ崎隧道の後にチャレンジしています。


さて、今回は阿曽隧道が舞台になります。

まずは、阿曽隧道のある場所を遠景で見ていただきましょう。

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右のガードレールは現在の国道8号線です。

その奥の半島のような部分、地図には黒崎と表記されていますが、現在の国道8号線は黒崎の付け根の部分をトンネルで貫通しています。
ですが、今回の阿曽隧道はもっと外側を走っていました。

今回はそちらに行ってみました。


但し、俺が考えている以上にそれは過酷で、一度命の危険を感じる場所だったのです。




まずは現場の地図です。
阿曽(あぞ)という地名は現在の国道8号線を走ったことのある方なら見たことがあるかなと思います。



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今回は3色で色分けしました。

赤は旧道、青がトンネルですが、

緑の区間は今もなお、地図に道が書かれている区間です。


それを踏まえたうえで、これをごらんいただきたい。

現国道8号線から、緑のラインへ入ったすぐの部分である。



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これ、地図に書かれている道です。



このまま直進するのが地図に書かれている道です。阿曽隧道へも、ここを通らなければいけません。


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道は黒崎の断崖絶壁に築かれています。右は切り立った岩山、左は海までまっ逆さまです。

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車道時代の遺構がありました。ブロック式の転落防止柵です。


今回の目的は、捨てられた隧道を車輌で走破すること。
なのでこの場所をどうしても自転車を持って進まなければなりませんでした。

こちらは敦賀側なのですが、福井側はロックシェードの隙間から抜けなければいけないので、自転車持込じゃ確実に無理です。

なのでどうしても自転車を押していく必要があるのですが、この先は藪が深くなっていって、どうしても進む道がここしかなかったのです。それが下。
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赤が遺構で、黄色が俺の進む道です。

崖っぷちを自転車を押して進みます。


結構余裕あると思われますが、案外これが難しい。

しかも俺の自転車は普通のサイクリングで使われるような自転車や、ましてやオブロード用ではありません。

通学用の重量級チャリです。

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というわけで、一番の難所クリアです。
歩いていくだけなら危険は少ないですが、通学用チャリという重い荷物を持ちながらの歩行は大変危険です。


今までこの道を、通学用チャリが走ったことがあったのでしょうか。
調べれば数々のレポを見ることはあるが、どれも徒歩で、とかマウンテンバイクで、というものが多いです。バイクで行った、という方もいらっしゃったようですが、もしかしたら自分が通学用チャリ初めてなんじゃないか?なんてバカなことも考えながらとにかく前に進みます。

写真後ろにロックシェードが見えますが、これは現国道8号線。
この場所まで50メートルほどしかありませんが、自転車を押して安全な場所を考えながら進むだけで8分ほどの時間を要しています。

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この場所は地図で言えば方向が90度変わる部分になります。

ちょうど正面の小屋が曲がり角ですね。
このあたりはまだ藪が大人しいのですんなり進むことが出来ます。
その分、血に飢えた蚊に大挙して襲われることになりますが・・・。


この角を曲がれば隧道の敦賀側坑門が見えるとのことでしたが、
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おいちょっと待てよ・・・岩肌に隠れて見えないならまだしも、藪で見えないってどうなんだよ・・・。
しかもさっきのほうがまだ可愛い藪だぞ!こんな藪通り抜けられるかよ!

とかいいつつ、自転車で通るという目標を達成するには突っ切らないといけないわけで。

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相手が俺で残念だったな!俺はしぶといぞ!

自転車とほぼ同じ丈の藪を押しながら進みます。
あと少し高かったら諦めていましたよ。

というか・・・坑門見えてるし・・・。

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バカ正直にまっすぐ突っ切ることはせず、なるべく楽な道を、そして蜘蛛の巣がない場所を選んでグネグネ蛇行しながら、5分かけてこの藪を突破。

現道からはなかなか見ることが出来ない部分で勝利の余韻に浸ります。
そして・・・その背後。


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Oh...


皆さん。どうでしょうか。

これが阿曽隧道の姿です。

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敦賀側坑門は明らかに崩壊が進んでいます。
2007年に入洞したという方のレポではここまで崩壊していませんでした。
なので訪れてびっくりさせられました。

しかも小石だけかと思えば、藪の中には鞄レベルのサイズの落石まで。
自転車を持ち上げているときにそれに躓き転倒、自転車のチェーンカバーがへこんでしまいました。

入り口部分はとても綺麗な石組み。
現代じゃとても真似できないですよね。

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自転車を引き連れて入洞。

既に1.5メートルは土砂で埋まっていますが、入り口だけ。
洞内は比較的綺麗に保たれています。

この整った石組みはとても綺麗です。

ですが、これだけで終わるような阿曽隧道ではありません。
振り向くと、こんなんです。


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素掘りだよ!ねぇ素掘りだよ!

自転車に乗って走行するという目的を忘れ、ただ綺麗に掘られた素掘りトンネルを美術館を鑑賞するかのように眺めながら福井側へ向かいます。
長さは50メートル近く。決して短くも長くもないトンネルです。

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福井側坑門も、ほぼ敦賀側と同じく綺麗な石組みによって作られていました。
敦賀側と違うのは、すぐ横が崖で海ということ。

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ここから先、福井側はさらに深い藪になっています。
そしてロックシェードがあるため、隧道へは敦賀側からしか基本行くことは出来ません。




さて、こんな険しい場所に作られた阿曽隧道。
見るからに只者じゃない雰囲気をかもし出しています。

この隧道、福井県に現存している隧道の中で、最古参の隧道なのです。

この隧道が作られた当初は、敦賀街道としてではなく「東浦道」と呼ばれる、敦賀と北陸を結ぶ重要路の一部として作られていました。
現在の国道8号線の前世と言っても過言ではありませんでした。

この阿曽隧道はその一通過点として、明治9年に作られました。何と徳川政権の崩壊から10年で作られてしまったのです。
しかし完成当初は人がやっと通れる程度のそれは小さな穴であったそうです。

これから拡張し馬車が通れるようにする、というところで。

何と「東浦道計画」が停止されてしまいました。


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何故「東浦道計画」が停止されなければならなかったのか。

「東浦道計画」は現在の福井県の前世である、敦賀県によって計画されていました。
その「敦賀県」自体が消滅してしまったのです

維新政府によって、現在の嶺南地方は滋賀県に、嶺北地方は石川県に組み込まれました。福井県は一度分割されたのです。


唯一残された阿曽隧道は市民の生活の道として使われ続けられましたが、明治16年7月8日。阿曽隧道を悲劇が襲いました。
敦賀一帯を襲った豪雨により、阿曽隧道は中程から崩落。放置されることになってしまいました。





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しかし阿曽隧道は再び復活することになりました。



明治14年、分割は県民の反発を買い、再び「福井県」が設置され、県庁も福井に置かれました。これが現在の福井県です。


それの一大事業として抜擢されたのが一度停止された「東浦道計画」の開通でした。

それまでは今庄を通り木ノ芽峠を通る北陸道が主流でしたが、武生から海沿いを通り敦賀へ通る「春日野道」として「東浦道」は復活することとなりました。
敦賀・金ヶ崎まで鉄道が開通され、馬車や荷車が普及し始めていたことも要因の1つです。


そこで通過点にある阿曽隧道を再整備して馬車が通れるよう拡張しようと復活することになったのです。

恐らくそのときに出入り口部分の石組みが作られたのでしょう。素掘り部分も含めて、明治9年に完成したものは現存していないのでしょう。

そして明治18年8月28日にようやく春日野道は着工されました。

崩落こそしていたものの、拡張整備で復活した阿曽隧道をはじめ、昨日のレポで紹介した「金ヶ崎隧道」、武生の山中に今も眠る春日野道の最難所「春日野隧道」とあわせ3つの隧道が明治19年末に完成しました。


これこそ、昭和38年まで使われることとなった現国道8号線の元となった道なのです。

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阿曽隧道では拡張整備の最中、明治19年6月25日18時30分ごろ、岩石の崩落事故が発生。4人もの尊い命が失われました。
このトンネルを去るときに合掌し、戻り際に乗車し走行という目的を果たしつつそっと自転車を隧道から外へ出しました。


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明治維新による政治の混乱により、一度は歴史の舞台から抹殺される可能性が浮き上がった阿曽隧道。
崖っぷちの危険な場所に築かれた隧道は隣に黒崎隧道が作られるまで活躍、現在もなおその危険な場所に佇んでいます。








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しんみりした感じで隧道を出ても、相棒とともに来た道を戻らなければなりません。
翌日から俺と学校へ行かなければ行けない使命を背負っている俺の相棒は、

俺以上に輝いていました。

思えば、廃線跡の築堤や砂利道を走ったことはしばしばありましたが、本格的な藪の中を走るのはこれが初めて。
初走行にもかかわらず、体に受けた傷はチェーンカバーがへこむというだけで済んだのはよかったのでしょうか。

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藪の中を走りながらも、時々こんな崖っぷちを走る羽目になる俺の相棒。
今日からお前をディスカバリー号と名づけるよ・・・。

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こうして俺とディスカバリーは現道へと生還しました。

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ちなみにアプローチ道は現道からはこのような場所を入っていくことになります。
右のトンネルが阿曽隧道の置き換えとして作られた黒崎隧道。
その手前のロックシェードの切れ目から入ってく感じです。

もちろんのことですが、車を止める場所は付近にはありませんのでご注意ください。



以上、阿曽隧道探索記でした。

お次は今週末、行こうと計画してます。。。
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2012/11/19  23:41

投稿者:ぽっぷ

rin7574様、コメントありがとうございます。

とても雰囲気のいい隧道ですよね。
隧道中央でも光が入ってきてのんびりできます(笑

2012/11/19  21:12

投稿者:rin7574

おお、阿曽隧道行ったんですね!
あそこは是非また行きたいいい隧道でした。

更新楽しみにしてます!

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